今日の日経新聞朝刊に「科学研究 国の役割増大」という記事があって面白かったので転載。
ドイツでは、ある完了が大蔵大臣に銃を突きつけるようにして、科学研究費の獲得に勤めていた。その官僚の名前はフリートリヒ・アルトホーフという。
(中略)
彼は優れた科学上のアイディアを持ちながら、それを発展させる資金がないために困っている人物を見つけると、一存で研究費を投入して完成に導いた。あるいは優れた能力を持ちながら、なかなか教授になれないでいる人物を見つけると、大学側の反対を押し切り、教授に任命した。
そうした研究者が数年もすると、次々にノーベル賞を受賞して言った。そのため彼は後年「ノーベル賞受賞者のゴッドファーザーと呼ばれた」
(中略)
しかしその反面、アトホーフはいつまでも国家財政に頼っているのでは、限界があることを見抜いていた。彼は巨額な民間資金が科学研究に投入されている米国を横目で見ながら、それに強い危機感を抱いていた。そこでひそかに同様に仕組みをドイツに導入する計画を練り始めた。
しかし彼の企画はスムーズには進まなかった。
(中略)
アルトホーフの没後百周年にあたる2008年10月彼の人物や功績を再検討しようと、八カ国の報告者が参加した国際シンポジウムが開かれた。シンポジウムでは、今後科学研究はいかなる資金によって支えられるべきかという点に議論が集中した。
「役に立つ知識か否かは、市場によって選別される。市場から求められない研究分野が消滅するのは、当然の結果である」「科学研究にかかるコストは、その成果から直接利益を得る企業が負担すればよい」「なんらの企業利益も生まないような科学研究は支援する価値がない。」・・・・こうした発想が現代では主流となっている。
しかし学問とか科学研究は、レンガを一つ一つ積み上げてゆく作業である。一つ一つのレンガは目に見える利益を生まなくても、それがなければ知識全体がつみあがっていかない。
(中略)
この現代では新たな研究成果は、出資者の私有財産となり、他者が自由には使えないケースが増えた。
(中略)
大学予算削減が連続する時代には、第二、第三のアルトホーフもまた欠かせない。
なるほど。研究成果と企業云々の部分に関して似たようなことをドラッカーも実は書いている。
テクノロジストの条件 ドラッカー
p131
近代企業は、いわば技術の産物である。(中略)今日の大企業のルーツは、最初の大企業である19世紀半ばの鉄道、つまり当時の技術的イノベーションだった。それ以降、今日のコンピュータメーカーや製薬会社に至る成長企業のほとんどが、それぞれの時代の新技術による産物だった。
それどころか、やがて企業が新技術を生み出すようになった。(中略)技術は、イノベーションとして社会的に有効なものとなる上で、ますます企業に頼るようになった。
今日たまたま素粒子物理の友人と話していたが、「加速器一回まわすのに一千万くらいかかる」という話である。一回の実験で一千万。ひとつの研究をなすのにも世界中の企業からお金を集めなければない世界がここにある。
素粒子物理はともかくとして、実際に企業活動をベースとして技術を捕らえる事に関して、ドラッカーは「技術を予期することが肝心だ」と説く。
テクノロジストの条件 ドラッカー
p132
第一に、技術は神秘的なものでも予期できないものでもない。合理的に予期することは可能であり、そうすることが必要である。
(中略)
第二に、技術は事業活動と別種の活動ではない。そもそも事業と別のものとしてしまったら、マネージメントできない。
(中略)
技術は把握できないとする考えは、もはや時代遅れである。まさにこの考えが技術に対する恐怖をもたらす。発明は予期したり計画したりできないとする考えも、また間違いである。
(中略)
特にイノベーションについては、予期すること、計画することが重要だって、かつ必須である。
「技術を予期することが容易だというのではない」と言ってはいるが、繰り返し繰り返し、技術やイノベーションを予期することの大切さを説いている。おもしろいのは、この続き。
マネジメントが関心を持つべきものは、発明ではなくイノベーションである。イノベーションとは社会用語であり、経済用語であって技術用語ではない。(中略)イノベーションは、たとえ発明から生まれることが多くとも、発明と同義ではない。
言われてみると当たり前のことなんだけど、実はこの視点、結構かけているように感じることが多い。
正直よく「こんなことできるなんてすごい!イノベーションだ!」とか「これが開発できたら今までになかった!イノベーションだ!」ときいたりするんだけど、その経済効果とかってあまり考えられていないなぁとよく感じることが多い。
結局売れなかったものは「イノベーション」と呼ばないにもかかわらず、なぜか開発段階やコンセプトの段階で、この「経済効果」という概念を欠いているものが多いように感じることが多い。
むしろ個人的な感想としては、開発やコンセプト段階で経済効果について言及することが悪とさえ思われてるんじゃないかと思うことすらある。
また一方で、「イノベーションなんか予期できない」と言っている人がいますが、実は割りと限定的に予想することは可能だったりします。それなりの業界知識と工学知識があると、「何があたるか」はわかんなくとも「何が可能そうか」はわかるし「何が売れそうか」もなんとなくわかる。俺的に問題は「可能そう」でかつ「売れそう」なものを考えるのが案外難しい。
こっからは持論ですが、結果的に工学や科学・ソフトウェア、なんでもいいんですが、そういったものに対するそれなりに深い知見と、ある程度のマーケットへの洞察が「イノベーション」を起こすためには重要であると思っています。「それなりに深い」っていうのは難しいところですが、工学が全くわからない人は論外だけど、それほどマニアックでもないといったところであるきがします。
現に工学部の研究室の研究というのは、現代の技術のちょっとした発展を扱っているというものが多いです。結局研究もほとんどのものは従来のものに自分なりに方向付けをして付け足していると考えてもそれほど間違ってはいないと思います。これからの企業は、現代のテクノロジーの把握と、マーケットを見据えた方向付け、そして資源の集中と開発という技術とともに発展していく形というのがいいのではないかなと思います。技術の発展には企業活動による資金の供給が必要であり、企業はマーケットを見据えその方向性をコントロールすることで技術をお金に変え発展する。こういう技術に対する先見性と経営が必要なんじゃないかなと思う今日この頃でした。
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