常々「論理的思考」というものには辟易している。
それはよくある反論のように「論理的に考えたところでイノベーションは起こらないんだ!」とかいう抽象的な話ではない。
「論理的に考えることがいいことだ!」と言ってる人も「論理的に考えてもイノベーションなんか起こらない」とか言ってる人も、俺はどちらもたいていの場合賛同できない。
自分が言いたいのは、人間なんてそもそも論理的に物事考えてなんかいないということだ。

そう、問題は「論理的に物事を考えていない」ということ。もしくは「考えてる論理が穴だらけすぎてやばい」ということか。

と、いうのはこの記事のような内容。
http://blog.goo.ne.jp/hi_tsuka/e/c8cbf35ecc957120699cbd987635df45

ちょっとあえて小難しく論理的に考えてみよう。しばらくお付き合いを。

まず、直感的に正しいと思える次の主張はまったく間違っていることに気づかない人は存外多い。

「9回連続で赤が出る確率はXX%。。。だから、次は黒!」

普通に高校レベルの確率論をやっている人は、「8回赤が出たときに9回目に赤が出る事後確率」を計算すべきだと気づくと思う。
今回の場合、善良なディーラーであると仮定するならば、すべての試行は独立であり、結局今まで何回赤が出ようが、9回目に赤が出る確率はpで一定であり、かつ、黒が出る確率は1-p。

問題は、赤が出る確率pがどの程度かという点である。残念ながらこれは判断できそうにない。

じゃぁ赤と黒が均等に出ているのかどうかを大真面目に検定してみよう。ちょっと馬鹿馬鹿しい気もするけど二項検定してみました。

帰無仮説「赤と黒が確立1/2で出る」 → p-value=0.007812

有意水準1%だとすると、どうやら帰無仮説は棄却されそうです。つまり台はゆがんでたりなんかするかもしれない可能性がそれなりに高い。

さて、ちょっと記事の話に戻りましょう。検定方法が正しいのかとかいろいろな問題はあるんですが、どうやら記事中の社長さんと同じ結論になってしまいました。「台は壊れてるんじゃないかkk」(kk = 確率的に考えて)

結局何を言いたかったかというと、論理というのは手段なのであって、論理性と「イノベーションが起こせるかどうか」は無関係なのです。うそ。正確に言えば「関係があるかどうかはわからない」ということ。
なので、どっちを信じるかはあなた次第ですが、本当に論理的に考えてる人であるなら、関係があるともないとも言えないはずなのです。

さらにもう一歩突っ込むと、「論理的に考えることに限界がある」というのは嘘です。これってつまり、難しい数学の入試問題が解けなかったときに「これは俺の能力の限界じゃない!数学の限界なんだ!」とか言っているのと同じです。
さっきの記事で言えば、そこで「仮説検定して台が壊れているかどうかを検定してみよう」と思えるかどうかは、論理性とは別に「深く考えることができるか」だったり「知識・知恵があるかどうか」という問題なのです。

むしろ論理的思考が重要なのは、「それが正しいかどうかが検証できる」という点にあります。
たとえば今の例で行けば、検定方法は正しいのか?有意水準は1%でいいのか?いろいろな検証が可能です。
その検証可能性が、結果的に説得力にもつながっているといえるでしょう。
なぜか、この点が忘れ去られて、単純に「結果がすぐ導き出せる魔法の道具」として「論理」を考える人が多すぎる気がします。

もちろん、現実では必ず結果を出さなくてはならないため、特に論理が必要でない場では結果が優先されます。
それは別に悪いことでもいいことでもありません。ただ、論理的に考えつくすことができなかったのだとすれば、それは論理の限界ではなくあなたの能力の限界です。
これを単に「論理の限界」にすり替えるのはどうかと思います。

また、辺に自分の論理にこだわるのもいかがなものかと思います。会話していると「言葉の意味」とか「前提」とかが、自分と相手で微妙に違うことにしょっちゅう気がつきます。
もし、お互いに本当に論理的に話しているのだとすれば、相手の論理に自分の論理を写像して考えることも可能なのではないでしょうか?
もし写像できないなら、それは分かり合えないところだと思って納得しておけばいいと思います。

論理というのは道具に過ぎないということをもう一回考えてみたほうがいいんじゃないでしょうか?
なんだかわかんないけど、ロジカルシンキング(笑)だとかMECE(笑)だとかすぐに言い出す新しいおもちゃを与えられた子供みたいな人たまにいるので辟易してるのですが、論理に振り回されず、他人とちょっと楽しい会話するためのコツとして考えてみるのはどうでしょう?