なんか意地でもITを泥化したい人たちがいるらしい。これは悪意すら感じるようになってきた今日この頃です。
まず書く前に自分の立ち居地について書いておく必要があるかな。
ちょっと書きたいことをバラバラ書くので読みにくかったり、語弊があったりしたらすみません。あまりエンジニアの未来サミット関係ないかもしれません。
また、多分に個人的主観が強いであろうことも付け加えておきます。突っ込みは歓迎。むしろ中々実情について調べられないでいる(と、いうかあまり自分には関係ないので調べるつもりもないんですが)ので、事実を教えてもらえるのはうれしいです。
自ら泥化する学生たち
あまり一般性はないかもしれないですが、これを最近思いました。これを思ったのはちょっと前に知り合いがwebのデザインを始めたといったときのせりふ
すごい高額な料金を取ってデザインしているのに、それにお客さんが満足していない。同じものならもっと安くできる
価格競争を自ら誘発しているわけです。で、開発やデザインの差はあれども、実際安くやることによって仕事を得てる人たちがいます。
しかし、それは本当に安くやるべき仕事だったのかどうかについてはよく考えたほうがいいんではないでしょうか?
たとえば、私も結局安い値段でやってはいたわけですが、railsやCMSなどを組み合わせ、さらに仕事を絞ることで基本的なコストを削減することを第一に考えてやっていました。
少なくともそういった工夫は必要です。
第二に一般論ではありますが、コストベースで仕事をするのは価格競争に陥りやすく、あまりお勧めではありません。
ほとんどの商売上手な人は相手によって少しずつ提案する内容を変え、利益に対する値段を考えたりしています。
請求書上項目がどうなってるのかは人によると思いますが。
特に、結果としてアウトプットに差がでにくいwebの開発やデザインなどにおいては、そうなりがちであることは想像に堅くありません。
多くの人は「信用を得るために仕事をこなすことが重要」というのを言います。これはある程度認めましょう。しかし、最終的にはサービス面での差別化をはからなければ、その会社は泥化を促進するだけのものでしかないんではないでしょうか?
安くやるというのにはそれなりの戦略性が要るのかと思います。
泥な人たちはどのくらいいるというのでしょうか?
これが私にはよくわかりません。
なんどとなく書いていますが、定時にかえってるSI屋さんというのもいます。なぞですね。
あと、なにをもって泥といっているのでしょうか?これもよくわかりません。
就業時間でしょうか?外資コンサルの人たちの初任給と労働時間について考えたことはありますか?
私も労働市場全体のことはよく知りませんが、ITに限らず残業が問題になっているのはご存知のとおりかと思います。
給与面でしょうか?
これは単純に数字をよく知りません。
しかし、IT「業界」が泥だといいたいなら、個別の事例を取り上げてうだうだ言ってもしょうがないはずです。
これに関する定量的な話をついぞ聞いたことがありません。
さらにIT業界って何でしょうか?
大手電機メーカーの研究所でエンジニアをしていると大体年収平均700万くらいで安定するそうです。
大金持ちってわけでもなさそうですが、安定度には定評があります。
これも部分的なはなしなので、一般に当てはめるには困難がありますが・・・
なんでもいいんですが、泥じゃないサンプルをいくらでも知っています。だれか定量的な説明をしてないんでしょうか?定量的じゃなくてもいいですが、事実について正確に把握してる人がどの程度いるのかが疑問です。
人月商売・多重下請構造は破綻するのか?
破綻ってなんだろう?という気がしますが、0になるという意味なら、それはありえないでしょう。なんにしても最終的に手を動かす人が必要です。
価格競争に耐えられなかった自律泥化企業は消えていくだろうなというのはありそうなシナリオな気はします。
自分の人生は自分で決めろという論理は正しい
PDSCサイクルではないですが、自分で計画して、実行して、失敗して、修正するしかないことはたくさんあります。
特に有象無象な業界ほどそれは当てはまる気がします。
教育制度のしっかりしている大手企業以外で教えてもらうことを期待することは非常に難しいです。
ほとんどの学生にとっては就職が人生を考え始める第一歩であるような気がします。
私事で恐縮ですが、実際いろいろやってみて「明日くう金がないかもしれない」というリアルな状況におかれるまで、なんか昼夜を問わず電話をかけてくる理不尽な人と出会うまで、いろんな心温かい大人たちに色々と指摘されるまで、自分の人生についてなんか考えたことはありませんでした。
もちろん将来○○系でやっていきたいという漠然な考えはあるでしょうけれども。
たたかれるにしてももちあげられるにしても、基本的には私の行動に対して世間はリアクションを取るわけで、悩んでいるだけではまさに自分の存在は世間から見たとき「空気」です。
泥の話にひっかけるなら、主体的にビジネスをできないほど泥に足を突っ込むことになるでしょう。
泥の論理自体は至極単純です。リソースに見合わない作業を強いられているだけです。
積極的なリソースの確保と作業の調整がそこには必要なわけです。自分が社会の歯車にはまっていないのであれば、なおさら努力しないとそこにはまり込むことはできません。
ほとんどの人は、そういった意味で泥にはまり込まないように、できるだけ主体的に判断しなくてもいいように、学歴とかネームバリューにこだわるんだと思いますが、その権利を得られる人は社会全体から見れば小数です。
しかしそういった学歴とかがある人でも、大成功を目指すような野心家は、やはり最終的に主体的判断が必要になるでしょう。いずれにしても社会全体に存在しているリソースは有限であり、大量の成功者を抱えるには足りません。
技術とは何なのか?
実務として何をしてるのかはよく知りませんが、文系SEというのは結構いるものです。
しかし個人的な思いとしては、プログラムかけます程度を技術と呼びたくはない気はします。もちろんプログラミングはたくさんある技術のひとつではありますが、その「プログラミング」というひとつの技術を持つ人を指してエンジニアとは言いたくありません。
一言で言えば、それだけだとほとんどの世の中にある工学的・エンジニアリング的問題が解決できないからです。
はたしてプログラム書けるだけの人がサイトに集客をしたいというニーズを解決できるんでしょうか?その問題をテクニカルに解決するのがエンジニアの価値です。
最近めっきり公的にはなくなりましたが、プログラムでスパムサイトを量産するというのはひとつの立派なソリューションです。(勧めてるわけではありません)
経営者の価値が適切な組織運営の方法を提供することであるならば、エンジニアの価値は適切な技術の選択と適応ができることが価値です。
単一の技術をもつだけではほとんどエンジニアとしての価値はないといっていいでしょう。
今まで私は「文系」と「理系」という区別には意味がないという主張をしてきましたが、それは主にシステムの開発に関する教育を行う機会が平均的には存在しないため、差がないという意味で使ってきました。
しかし技術者・エンジニアという文脈で考えた場合、より多くの技術ポートフォリオ・技術的思考になれている人間のほうが相対的に有利であと思います。
ここに関して「文系」と「理系」を区別することには意味があると思います。(正確には受けてきた教育に関してわける合理的理由はあるかと思うという感じです。)
文系エンジニアが成立するのはかなり局所的な話であり、すでにweb開発がコモディティ化している現代においては、すでに文系エンジニア論理は終わりを告げつつあるように思います。それこそ泥なのは文系エンジニアの世界ではないですか?(これは提案。実際はよくわかんない)
重要なのは敬意
以前紹介した記事(twitterに書いただけだったかも・・?)にもありましたが。
4. Failure to Show Respect
When in Rome, do as the Romans do. If you’re a tourist overseas, you shouldn’t assume that everyone speaks English. That’s just plain rude. Natives of your host country will appreciate any attempt to speak their language, however feeble it might be; it’s a sign of respect and will go a long way to making sure the waiters don’t spit in your food. Likewise, even if business execs don’t understand the “language” of their technical counterparts, they need to do their homework and try to gain a basic awareness of the job at hand. It shows respect and breeds confidence. Business execs also often fail to appreciate what inspires and motivates technical and product folks, who sometimes are creative types more interested in building cool, innovative and useful stuff than making a busload of cash.(要約)
郷に入れば郷に従え。エンジニアたちの言葉を理解することは、彼らに対する敬意をしめすことなのである。もし理解できないのであれば、自分で勉強してちょっとでも仕事についてわかるようにしておくべきである。
また何が製品担当や技術担当のモチベーションをあげるのかをうまく理解できないことがよくある。
経営者の話を聞いていると「ずいぶん勝手なことを言うな」と思うことがしばしばある。これは本当に簡単なことであるのに気づかない人が多い。
エンジニアだから、プログラマだからといってどんなものを作ってても楽しいということはないわけです。よく「プログラムかいてれば楽しいんでしょ?」という人がいますが、大きな勘違い。もちろんそういう人もいるにはいますが・・・・
ひるがえってこう聞けばいいかもしれません。「温暖化を解消する会社を経営してよ?経営してればなんでも楽しいんでしょ?」
どんな会社でも経営できれば楽しいという人は、プログラマと同様にいるんだとは思いますが、自分の興味のない会社を経営することを考えたら、ほとんどの人はモチベーションあがらないんじゃないでしょうか?
それが将来もよくわからないような会社だったらなおさらどうでしょう?なんで自分がそんなことをしないといけないとか思いませんか?
俺も仕事じゃなきゃこんなこと考えませんが(モチベーションはやはり品質に跳ね返る。身内ならなおさら。)、すごく当たり前のこととして考えてほしいと思うことが多いです。エンジニアを少しひとくくりにしすぎじゃないでしょうか?
経営者は自分の仕事に関してよく考えてほしい
かえって俺は経営者の仕事というのがよくわかりません。いや、大体わからなくもないのですが、コードを書けるべきとかそういうのとは本来的に別次元であると思うんですよね。
やっぱりインターネット。作る側の悲鳴ばかり聞こえてきて「私はそれにメスを入れる!」みたいな人たくさんいるわけですが、果たして経営者が本来的にするべきことについてネット上で語られてきているでしょうか?
ここには相当バイアスがかかっていることに注意しなくてはいけないと思います。
たいていの場合経営者は組織の制度上の明確な権力を持っています。形式上エンジニアを首にすることは簡単なわけであり、コストに見合わなければ首をすげかえることができるわけです。
それに対して技術者は実力で対抗しなくてはいけないわけです。「私の代わりはいませんよ?」
経営者は組織上明確な権力を持っている以上は、本当に見合った仕事をしているのかについては慎重に考える必要があります。
究極毎日ゴルフしてたって誰もあなたを首にはできません(人はついてこないでしょうが)
そういった立場であることを第一に考えるべきではないでしょうか?
果たして技術なんかにうつつを抜かしている場合なんでしょうか?もっと経営者がすべきことがあるんではないですか?
これは技術がわかるべきかどうかというのとは別次元の問題であり、かつ、本来的にもっと議論されるべきところなんだと思います。
思い出したのでついでに言うと「エンジニアにとってすごしやすい会社/企業」というのはなんかおかしいのです。前項にあげた「敬意/それぞれの趣味趣向」を認めるなら、それが物理的に実現不可能であり、たとえ実現したとしてもエンジニアリングとして優れた人は来ないであろうことが想像できます。
むしろ会社として「求める人材像」があり、その人たちにすごしやすい環境を整えるべきなんではないでしょうか?
泥の原因
個人的には泥の原因はこれじゃないかというのがあります。だいたいこの中のどれかか、これの組み合わせじゃないでしょうか?
すくなくとも、「エンジニアの未来サミット」というタイトルで、なぜかプログラミングっぽい話だけをする感覚自体になにかしろの破綻が見られるように思えます。
(もちろんgihyo.jpが主催な時点である程度察しろという話はありますが)
希望というか提案
そしてもうひとつ。これ個人的には重要なんですが。
理系で全うに工学してる人は、学部であっても、webとかよりはだいぶ別次元のことしています。
追記:なんかアレゲなので今後泥の話には触れません。